【高松市】香川県民にもあまり知られていない四国の御陵。街角の古墳「神櫛王の墓」をご存知ですか?

【街角の古墳、神櫛王の墓】

今年の大河ドラマは久々の三谷幸喜脚本とあって、期待の高まるところですが、香川県民にとっては観光史跡PRに繋がる源平合戦辺りからドラマが始まるのは嬉しいですね。

瀬戸内海
屋島周辺の古戦場の他、崇徳上皇の天皇陵も厳かな史跡ですが、もう一基、四国には御陵が有るのは御存知でしょうか?

おそらく今年の大河のクライマックスになる事件、承久の乱で敗れた後鳥羽上皇の皇子、土御門天皇は配流先の徳島に御陵が有り、国道318号線を通って東かがわを抜けた山間は、宮殿が有ったと言われており、今も御所の地名が残っています。

また、陵墓では有りませんが、神代にあって讃岐の国造の祖となった神櫛王の墓が香川県高松市高松町に有ります(宮内庁管理)。

琴電八栗駅の南側、王墓の地名の由来となった場所です。神櫛王は古事記に名を残し、景行天皇の皇子とされていますが、西讃ではヤマトタケルの皇子、讃留霊王と云う名で巨大な悪魚を退治した等の伝説を残しています。

案内板によると明治二年に再営されたと記されており、察するところ各地の古墳同様、江戸時代までは自由に往来出来る場所であったのでしよう。

比定の経緯は幕末における讃岐の立場を調べてみると面白いのかも知れません。

香川県では、双方中円墳や線刻画の刻まれたものなど、国内でも非常に珍しい古墳が点在していますが、野晒で風化して行くばかりのものも多々有ります。

石積の丘陵は教科書に出てくるものばかりではありませんが、その地の時代を記した文字の無い碑です。

今尚残る古代ロマンと共存する日常。そう思うと、我らが町はもっと誇らしく、興味深くなりませんか?

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歌子

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